静岡新聞 平成22年1月1日
国連は、今年を
「国際生物多様性年」に指定し、
生物多様性保全の取り組み強化を呼びかけている。
10月には、名古屋市において、
生物多様性条約の第10回締約国際会議(COP10)が開かれる。
生き物がいなくなると、まわりまわって、様々なところに影響が出る。
えっ、 こんなところに なんてこともある。
自然は複雑に入りくんでいて、人間には、それがときとして見えないものだ。
気づかないものなのだ。 気づいたときは、後の祭り ってことが多い。
水処理の生物処理において、生物の多様性を高めると、
処理能力が格段に上がる。
我々 人類は、他の生き物によって 生かされている と言って過言ではない。
自分だけで生きているなんて思ってはいけない。
明らかにそれは、勘違いであるのだから。
hiroさんのおっしゃる通りだと思います。
人類だけでは生きて行くことが出来ず、地球も人類だけのものではありません。
環境問題が深刻化している昨今、国境をこえた活動も増えて来ましたが、他の動植物といかにうまく共存して行くかを個人レベルでも考えなければならない時代になりましたね。
おはようございます。
まったく同感です。私も、雑草と呼ばれてしまう植物たちや、害虫と呼ばれてしまう虫たちも含め、地上も地下も、いかに多くの生き物たちに住んでもらえるかが、とても重要であり、それに尽きるといっても過言ではない、そんな思いで、日々農業を営んでいます。とはいっても、私にできることといったら、そんな野良の住民たちや野菜たちを、外野から応援することぐらい、なのですが・・・。いつか、そんな植物たちや、そんな虫たちに対する“垣根”が取り払われる日が来たらな~、と思っています。
hanaさんへ
ありがとうございます。
自然と共存することについては、日本人は世界の中で
突出していると思います。
俳句なども自然をよく観察することからはじまります。
日本人のできることいっぱいあると思いますね。
とんちゃんへ
生物で水処理する仕事をしていますが、
人間はなにもできません。
我々は、微生物が活動しやすいように彼らの環境を
整えてあげてるだけです。
あくまで、水をキレイにするのは微生物でしかありません。
すべて、彼ら生き物のお陰です。
とんちゃんと 考え方は 同じです。
hiroさんへ
確かにそうですね!
松尾芭蕉の俳句も海外では「ただの文章としか感じられない」と言う話を聞いたことがあります。
無意識の内に有している感性のDNAはまさに財産です。
日本人で良かったとあらためて実感致しております。
とんちゃんさんへ
雑草にしても害虫にしても人間にとって不都合なだけであって、生あるものは全て意義あって生きているのだと思います。
植物や虫達との垣根を取り払うのももしかしたら日本人の感性かもしれませんね。
hana さん 、 とんちゃんへ
「歳時記」を見ると、春、夏・・・の四季のなかをさらに、
時候、天文、地理、生活、行事、動物、植物などと分け、
季語を分類してます。 これらの項目をつきつめれば
科学になります。
俳句=科学 と 私が考える ゆえんです。
hana の花弁が5枚、その中心に おしべやめしべ
さあ、どう俳句にしようか さらにつきつめると 科学になります。
よかったら、このブログの2009年09月30日の記事もご覧になって
下さい。
おはようございます。
ヒロさんさま、hanaさま、ご教授ありがとうございます。
日本人のもつ感性や、自然と共存するがゆえに持ちえた繊細な観察眼により、たった17文字の文章が、日本を代表する文学にまでなったのでしょうね。
昨日コメントさせて頂いたような農業を私は営んでいるわけですが、そういった“農業”にとって厄介とされている生き物たちの、しかし、“農業”における、また環境における、その存在の重要性を、今は理由等、説明することができますが、それは、そんな理由など解るはずもなかった時代に、発見、経験することができた、先人達の感性、観察眼の賜物。そういった感性、観察眼の上に、科学は成り立っているんでしょうね~。
「害虫の誕生」、読んでみます。しかし、あの「コガネムシ」が、チャバネゴキブリのことだったとは・・・。
とんちゃんへ
いつも思っていることですが、人は自然からすべてを学んで
いますね。 人間みずから創り出したものはなにひとつないですね。
すべては、自然からとか、自然の仕組みなどがヒントになってますね。
そして、先進国のなかで、自然を大事にし、共生しているのは日本
くらいですね。そして、神様にまでしてますものね。
風神、雷神、海神、山の神、川の神、石の神などなど
もう、日本では 自然すべてが神様ですね。
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