
「小林一三 独創の経営」 三神良三著 PHP研究所発行
1983年5月4日 第1版第1刷
新宿コマ劇場 1956年(昭31)12月28日、 52年前の今日、開場した。
このときの運営会社コマスタジアムの社長が小林一三(当時83歳)であった。
(年の明けた、1月25日急逝された。)
新宿コマは、この12月31日閉館となる。
円形の3段の回り舞台であることから、独楽にちなんで名付けられたという。
演歌歌手などの数多い催し物が行われた。
新宿コマも、日劇も、行きたいと思っていたが、ついに果たせなかった。
またひとつ、昭和が消えてゆく感がある。
さて、小林一三(1873(明6)-1957(昭32))であるが、山梨県出身、慶応大卒、
阪急電鉄・阪急百貨店・
阪急東宝グループの創業者であり、
野球の阪急ブレーブス、宝塚歌劇団の創始者でもある。
次の今日当たり前行われている事業は彼のアイデアによる。
鉄道事業における
・駅等の百貨店経営
・鉄道沿線における住宅開発経営とその月賦販売
・遊園地
・野球場、エンターテイメント施設
・広告塔
・電車の中吊り広告
いまでは、どこの電鉄会社でも行っている。
また、他に
・カレーライスのみ一品の食堂
・80銭均一ストア雑貨を売る(今なら百均)
・日劇のストリップ劇場
・東京電灯(今の東京電力)の立て直し
・昭和肥料(今の昭和電工)設立
・日本軽金属設立
などなど
彼は、30代半ばまでは、いわばサラリーマンであった。
30代後半から電鉄をはじめいろいろ事業展開する。
宝塚少女歌劇第1回公演は、彼の41歳(大正3)のときである。
彼は、世界大恐慌1929年(昭4)に、微動だにしない。
寧ろチャンスにした男である。
このとき、彼は56歳。
彼は、言った。
「不況のときこそ起業せよ。設備投資せよ。
不況だから、計画は慎重にになり過大にならない。
モノ、カネも安く入る。」
彼から学ぶことは、多い。
(ちなみに、テニスの松岡修造氏は彼のひ孫にあたる。)