咸臨丸乗組員

咸臨丸乗組員
   磐田市旧赤松家記念館:県市指定文化財

赤松則良(のりよし)が建築した邸宅。
徳川幕府派遣のオランダ留学生であり、造船技術を学ぶ。
近代日本造船技術の先駆者である。
1868年 明治維新 幕府瓦解し、無禄移住を決意、磐田原の茶園開墾に着手する。
1870年 新政府の命により、海軍兵学校大教授となる。
1887年 男爵となる。海軍中将となる。
1897年 貴族員議員、日本造船協会初代会長となる。
1920年 病により逝く。
ご子孫も磐田に多大な功績をしている。

さて、さかのぼること
1860年 桜田門外の変の年
若干19歳の則良は、咸臨丸(オランダで建造された小軍艦)に乗船し、太平洋へ、そして渡米。
軍艦奉行木村摂津守喜毅、艦長勝海舟、福沢諭吉(奉行の従者)、通弁の
中浜万次郎(ジョン万次郎)らとともに。  日本海軍のはじまりである。


激変の時代、大海原へ乗り出した19歳は、どんな気持ちであっろう。
どこに、時代は上陸するか、わからない時代。

明治は強し。人々が時代を作り上げた。

混迷の平成。国と地方の借金800兆円以上。
0歳からお年寄りまでひとり当たり600万円以上の借金ということになる。
借金だから、もう使ってしまったのだ。

平成の我々は、これを見据えて、行動しなければならない。
子供たち、孫たちへの負担をできるだけ小さくしなければならないのだから。


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この記事へのコメント
ここ 旧赤松家の前時々通るとき
中みたいと思っていました
ブログに載せるには
間違いがあってはいけないので・・・??
Posted by 三匹亀さん三匹亀さん at 2008年09月02日 07:20
三匹亀さんへ

コメントありがとうございます。
たまには、こういうところを訪ねて、歴史を感じるのも
いいもんですね。
そして、今を考えざるを得ません。

これからまた、日本の新たな正念場が始まりますね。
Posted by ヒロさん at 2008年09月02日 09:00
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    コメント(2)