孫娘は1歳半、何も分からないから、なんでも口にいれる。
そんなときなのだ。
こんなときの経験が味として、誰にも残っている。
鼻くそ、 指の汚れ、 紙、 布切れ、 鉛筆、 机、 消しゴム、
下敷き、 ・・・
なんでもといっていいくらい味を知っている。
そして、障子も破る。
なんども破る。
しばらくは しかたない。 障子はそのままほっておく。
私は叱れない。
私は小さい頃、父によく言われた。
「おまえは、よく障子の
桟を上ってボロボロにした。」
と。
だから叱れない。
すべてが体験なのだ。
ふろく
障子の桟の「
桟」の漢字、ある辞書では、
①かけはし 例 桟橋
②ア 戸・障子のほね
イ 戸をあけたてするのにさすせん
ウ 板がそらないように打ち付ける木
結構大事なことを暗に意味する漢字だ。
桟がかけはししてくれたり、支えたりしてくれた。
「桟」をして大きくなった。
先生という桟
友たちという桟
親という桟
感謝したい。