
静岡新聞 夕刊 平成20年12月11日
今日12月14日は、赤穂浪士の討ち入りの日である。
先日の新聞記事には、
赤穂義士47人の中でただひとり生き残った寺坂吉右衛門信行の孫が
高知新田藩(山内家の分家)藩主の側近にまでなって、出世していたこと
を示す書状が見つかった。足軽だった寺坂の孫としては異例の出世。
忠臣蔵の芝居や浄瑠璃の人気が後押ししたのではないか。
とある。
寺坂吉右衛門信行は、大石内蔵助の命をうけ、内匠頭(たくみのかみ)の弟や
夫人へ義挙の報告をするために、生き延びたとも言われている。
掛川ゆかりの山内家に仕えて出世していたとは、親近感を感じる。
藩主も、寺坂吉右衛門信行の孫も、さぞ立派な人物であったのであろう。