赤塚不二夫さん ありがとう

赤塚不二夫さん ありがとう
  「ボクは落ちこぼれ」 赤塚不二夫 著   ポプラ社 発行  (1979年11月)

赤塚不二夫氏 8月2日 午後4時55分 死去された。
8月3日の新聞各紙一斉に、1面及び他の紙面を割いての、報道である。
いかに、皆に影響し、慕われ、愛されていたがわかる。  評価も高い。
また、紙上での各界の著名人のことばは、死を悼み、感謝のことばが
多く見られた。
ハチャメャな反面、大変シャイで、やさしいお人柄だったんですね。

前掲の本は、約30年ほど前に、出版されたものである。
本棚から、取り出し、ピラピラしてみた。
当時も感動した覚えがあるが、実に素晴らしい内容である。

生い立ちから「トキワ荘」までの、半生が書かれている。
生まれは満州、終戦までの約10年間、その地で暮らす。
戦後、母の実家の奈良県、父の実家の新潟県で中学まで生活する。
満州からの引揚者としての差別、父のシベリア抑留の話、
日本全体がそうであったが、貧しい生活、
など当時が手にとるようにわかる。
その時代や父母からの影響などもよく読みとれる。

中学卒業後、まもなく上京する。
さらに、その約10年後、「おそ松くん」が誕生する。
上京後、会社勤めや、「トキワ荘」での漫画家生活が
仲間とのふれあいとともに書かれている。

この本に、
「・・・じぶんの個性は、たいせつにしたいと思うのだ。
 劣等生のボクの体験のように、必要が生じれば、勉強なんてものは、
 だれでもできるのだ。勉強がすきで、塾がすきというなら、これは、
 だれも文句はない。おおいによろこばしいことだ。
 しかし、人におしつけられての勉強だけは、意味がないだろう。」
とある。

戦後の混乱期から、あんなにも、斬新で、個性ある、楽しい、面白いマンガ
を生み出してくれて、ありがとうございます。
(作品には、下品なところがない。)

氏のマンガを読んで、
半ズボンに、ランニングシャツの少年は、ただひたすら、無邪気に、
笑いころげていたのでした。

目頭を抑えて、「ボクは落ちこぼれ」を閉じるのであります。


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この記事へのコメント
 ももパパです
いつもうちのデキの良い嫁さんのブログを覗いてくださってありがとうございます(爆

赤塚さんの漫画は小学校の頃読みましたが、僕らの場合「仮面ライダー」世代なので実を言うとあまり印象が無いですね(^。^) どっちかと言うと、オタク系のヤツがニャロメとかイヤミのギャグを寵愛していたような気がしますねぇ。僕らは、やっぱりライダーとかキカイダーとかサイボーグ007でした。
でもひとつ印象に残っているのは、ニャロメが「角材」に「ヘルメット」で学生運動をしているギャグで、ニャロメが民衆の前で「アジる」のですが、子供心に
「日本の大学生ってアツいんだなぁ・・・・」と思った記憶があります。
思うと 昔の漫画って世相を表すにもストレートであったような気がします。今の漫画(アニメというんでしょうね(^。^))は複雑で こ難しくて子供が楽しめるのかなぁって思ってしまいます。とにもかくにも また「昭和の巨匠」が亡くなってしまったなぁと寂しく思いますねぇ。これで 石森章太郎がいなくなったら・・・・・・もっと寂しいですね(^。^)
Posted by ももママももママ at 2008年08月04日 23:03
ももパパさんへ

はじめまして。
コメントありがとうございます。
歌と同様に、漫画も時代を反映したり、また、
世代ごと心に残っている漫画が違うんですね。

何とは言えませんが、少なからず影響を受けているのは、
間違いないですよね。
おもちゃとかキャラクター商品なども買ってますし。

今では、日本の漫画が世界中で、読まれつつあります。
それも、相当の人気ですよね。
難解な日本文化が、少しでも理解されていくことを
望んで止みませんね。
Posted by ヒロさん at 2008年08月05日 10:14
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