先週の「おひさま」では、お店の丸庵が火事にあい焼けてしまった。
戦後まもないころは、不燃建材もなく、防火体制、消火体制も、現在とは
雲泥の差であり、火事は多かった。
戦後、浜松の火災、資料によれば、
昭和28年有楽街南側で5軒焼失
昭和29年東田町で12軒焼失
昭和29年県立西高校全焼
などある。
この火事のひとつで、私の親の店は、類焼してしまった。
全部を失った。
(食べてゆくのが精いっぱいの時代)
火事のとき、父は不在。
私を抱えて母は、中沢の弟のところに行った。
一時、 母と私がいない と、皆は大変心配し、あわてた。
私が産まれて8日目のことであった。
これが、私の人生のはじまり。