静岡新聞 平成21年10月27日 夕刊
加藤和彦さんをしのんで 11月1日(日)午後1時より
NHK BS2 で フォークルの 新結成記念・解散音楽会 が再放送される。
また、新聞には きたやまおさむ さんが、次のようにことばを寄せてくれた。
加藤和彦さんを悼む 『天才で厳しい批評家』
きたやまおさむ
(精神科医 作詞家)
死んだ加藤和彦には、二人の加藤がいたと思う。一人はミュージシャン
であり、舞台の全面で演奏するアーティスト。そして、もう一人は、その
演奏を厳しく見つめて批評する加藤である。
舞台では実に優しい音楽家だったが、楽屋で怒るとこわかった。ある
時など、私の代わりに、スタッフに対しカンカンになって怒ってくれたこともあった。
稀代(きだい)の天才は表面的には遊んでいるように見えて、それを厳しく
見つめる評論家のような分身を自らの内に抱え込んでいる。厳しい加藤は、
もちろん自分自身にも、そして共作者の私にも厳しかったし、私が何回
書き直してもダメ出しが続いたものだ。
ところが、良い作品ができた途端に、天使のように微笑んでくれた。
忘れもしない、「あの素晴らしい愛をもう一度」の歌詞ができた日、
「最高だよ最高」と言ってはしゃぐ電話の声が今でも耳に聞こえる。
時間にして、彼の作曲が1日、私の作詞が1日という短さだった。
書き直しは全く求められなかったし、加藤の予測通り、曲の評判は上々だった。
ところが、加藤宅からの最後の電話は、彼自信の訃報だった。しかも今回は、
やり直しがきかない。取り返しがつかない。
ふと思い出したのは、生前、互いの葬式では「帰って来たヨッパライ」を流そう
と言って、酒を酌み交わしたこと。
エンディングの木魚とお経が「ぴったりだ」と二人は腹を抱えて笑った。
もちろん、それも今では悪い冗談でしかないが。
彼の自死は、自らの人生という「作品」についても、もう一人の加藤和彦が
あまりに厳しくて、自分で自分を追いつめた結果、こういう結末になったのだと
私は考える。そして、このような「死んじまった」というエンテ゜ィングについて、
何度も共作を重ねてきた私に何の相談もしないで「作品」を放り出したことが
悔しい。
そこで、作詞家としての私としては、今度天国に行くまでは、オラは生き
残っただァ、と歌いながら加藤の分まで生きて生きて生き残ってやりたい。
天国のあいつに「格好が悪い」と言われようとも、またどれだけダメ出しされ
ようとも、何度も書き直してやる。
それが加藤和彦と私にできる最後の共作であり、フォークル最後の演奏
なのだ。
と、 きたやまおさむ さんは 胸の内を明かしてくれた。
私にも、自死した友人がいる。
高校時代の友 ふたり。
中学時代の友 ひとり。
なぜか、皆 いいやつ ばかりなのだ。
皆に気を使っていたのか、憎めない 、慕われるやつら ばかりだ。
なんだ おまえ、 おんしゃ てめい どうしちゃっただー。
それでも、笑顔が返ってくる。
やさしい笑顔ばかりが思い出されてしまうのだ。
「帰って来たヨッパライ」には、日本中、度肝を抜かれたのだ。
滑稽な曲である。
俳句は、実は、 滑稽からはじまった。
日本の滑稽は、イギリスのユーモアとは少し違う点があると思う。
日本の滑稽には、苦しいこと、悲しいことを 滑稽さで乗り切ったり、
吹き飛ばしたり する一面がある。
不謹慎しか知れないが、
この悲しみ、、滑稽さをもっても、乗り越えれそうにない。