恵林寺に寄った。
1330年、夢窓国師(むそうこくし)によって開かれ、戦国時代、
武田信玄が武田家の菩提寺と定めた。
信玄の墓と、家臣の供養塔約70基がある。
今年10月31日に 浜松アリーナ で行われる舞台
「三方原合戦」のポスターが入口に貼られていた。
庭も素晴らしい。
有名な話がある。
武田氏を滅ぼした織田軍は恵林寺に押し寄せ、潜伏保護されていた者達を
引き渡すよう快川和尚(かいせんおしょう)に命じたが拒否され、怒った信長が
三門に快川和尚はじめ約百人の僧侶らを封じ込め火を放った(1582年)。
このとき、快川和尚は、
「滅却心頭火自涼」
(しんとうめっきゃくすれば ひもおのずからすずし)
と、 焼死した。
現在、国語辞書には 「心頭を滅却すれば、火もまた涼し」 などとあり、
『どんな苦しみも、心にとめなければ、苦しみとは感じられない。』
意とされる。