おくりびと 次郎長

おくりびと 次郎長
   「清水次郎長と明治維新」 田口英爾著 新人物往来社発行

清水次郎長も、ある意味、日本的死者を思い遣る おくりびと であったろう。
明治元年(1868)9月18日、清水港に停泊中の咸臨丸が官軍の攻撃をうける。
咸臨丸の旧幕府の兵(賊兵)の死体は海中に投棄された。
当時、「賊軍に加担する者は厳罰に処す」とのお触れが出ており、遺体を片付ける
ものは誰もいなかった。

そんな中、次郎長は、咸臨丸の副館長春山弁蔵(勝海舟門下、長崎伝習所第1期生)ら
7名の遺体を収容し、手厚く弔い葬った。
次郎長は、出頭を命じられ、糺問官に「賊兵を葬うとはお上を恐れぬ行動」と詰め寄られる。
が、次郎長、微動だにせず「死ねば皆仏だ。仏に官軍も賊軍もあるものか。」と啖呵を切る。

駿府藩幹事役山岡鉄舟は、これを聞き、次郎長のことを「単なる博徒ではない」と言う。
(鉄舟は、勝海舟と西郷隆盛の江戸城無血開城会談を導き、明治天皇の教育係などとして
 活躍した人物)。

映画「おくりびと」。
日本人の考え方、精神が世界の人々に、少しでも理解していただいたことは、嬉しい限りである。


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この記事へのコメント
清水の次郎長さん、素晴らしいですね。
私の大好きな山岡鉄舟、清水の次郎長とは仲がよかったようで、興味あります。

やっぱり、頭の人ではなく、腹の人にならないと…。

本を読んでみたくなりました。。。
Posted by げんちゃんげんちゃん at 2009年03月06日 09:12
げんちゃん
こんにちは です。
博徒の次郎長も明治元年前後、生き方を探っていたんでしょうね。
そんな折、鉄舟に出会う。
鉄舟は次郎長に「これからは心を磨け、それによって生きざまを
見つけよ」と諭します。
以後次郎長は、年下の鉄舟を師と仰ぎ、生き方が変わる。

慶喜が静岡に来た。そして、失業した徳川家臣とその家族も
静岡に来た。合計1万4千人程。次郎長は、船でやって来て
清水港に着いたこの人たちのため炊き出しをした。
また、彼らのため熱心に働いた。
塩田やお茶の開墾などがそれである。
次郎長は切った張ったの後の人生がまた魅力的であります。

一方の鉄舟は、次郎長をひいきにする訳を
「次郎長には裏がない。」「次郎長ほどの人物が生きながら
死んでゆくのを見るに忍びなかつた」と言っています。
Posted by ヒロさんヒロさん at 2009年03月06日 11:53
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