
「 龍馬を超えた男 小松帯刀 」 原口 泉著 グラフ社発行
NHK大河ドラマ「篤姫」も終わりに近づいてきた。
妻も娘たちも、夢中になっている。
女性にも人気なのだろう。
さて、薩摩藩家老「小松帯刀(こまつたてわき)」であるが、
ほとんど知られていないのだが、凄い人である。
龍馬が登場する歴史の大舞台のほとんどに、
帯刀は絡んでいる。
海援隊を作ったのも、薩長同盟のための遊説に路銀を与えて龍馬を送り出しのも、
京都の小松邸を提供して薩長同盟を実現させたのも、そして、大政奉還実現のため、
慶喜を説得したのも
帯刀 であった。
明治元年 33才 従四位を賜るが辞退、再度叙位され受諾。
明治2年 34才 維新の功績により、永世賞典禄として、千石を下賜される
こととなるが、二度辞退するも、翌年むりやり、押し付けられる。
明治3年 35才 病により死去。
「無私」の 帯刀 であった。
日本人、謙譲の美徳 の 帯刀 であった。
今の日本には、・・・
あと少しだが、ドラマ「篤姫」を楽しむことができる。
こんばんは☆
そんなに尊い方がいたんですね~
多分いま初めて聞いたお名前ですが,
お話,読んでみたくなりました~
先日の数学者の話にもありましたが,
やはり賢い方は謙虚なんでしょうね・・・。
今、ドラマで足の病が気になりますが、やはりそれが原因で早くにお亡くなりになるんですかね?
謙虚な心・・・。尊敬致します。
るっこらさんへ
私も知らなかったお人でした。
ついつい、龍馬のほうに目が向いてしまいます。
ドラマ「篤姫」がなかったら、知ることがなかったかも。
歴史は、無名な人によってつくられている。庶民も含め。
みたいなことも言えるかもですね。
橋本美恵子(TANA)さんへ
本には、死因のこととともに次のようにありました。
「死因については不明な点が多いのですが、もともと病弱ただった
身に、大変革の時代を担った激務がたたったのでしょうか。
激動の幕末、後々の日本に大きく影響することになる数々の
偉業を、帯刀は、その短い生涯のうちに成し遂げたのでした。」
男の中の男ですね。龍馬とも、親友といっていいほどの仲で、
龍馬の新政府の構想には、筆頭に挙げられていた。
もう少し生きていられたら、第1代総理大臣になっていた可能性があります。
こんな男には、とことんついていけますね。
篤姫も、惹かれていたんですかね。
ヒロさん有難うございました。
ドラマでは、篤姫を好きと言う事になっておりますが、
誠実なイメージが、京都に別の女性・・・。
少し複雑な気持ちで見ておりましたが、暗殺なども多かった時代、いつ死ぬかわからない男の人たちだから仕方がなかったのかな~とも思いましたが、やはり複雑です。(^_^;)
橋本美恵子(TANA)さんへ
そこを突かれると・・・、なんといいましょうか。
男のさがなんでしょうか。
えー、そのー・・・(うろたえていること自体がまずいですね。)
(訴状を見てないので、)コメントを差し控えさせていただきます。
ますます、おかしいですね。
・・・そうそう、時代が違うんですね。
江戸、明治などは、その点については、今とは全然違うんですね。
売春防止法成立ですら、昭和31年ですから。いわば、つい最近です。
日本初の新婚旅行は、龍馬とおりょうさんとされていますが、
帯刀とお千賀さんの方が先でして、霧島へ行っている。
ですから、帯刀はお千賀さんとお琴さんの両方を人並以上に
大事にしていたと思います。
でも、それとこれとは違います。と言われそうですね。
(両方大事にしちゃ・・・やっぱ、まずいですよね。)
うー、答えにならないなー。
男と女の問題、やはり、答えはないのが答えでしょうか。(冷や汗)
するどい投げかけ、ありがとうございました。
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